私はラジオ石巻の3代目社長になったのは2002年5月末。04年から3年間、「石巻 元気を出そうよ」という1時間番組を毎月2回放送しました。石巻地域には、いいものが一杯ある、それを引き出し合ってもっと元気な街にしようという考えでした。毎回、いろんな分野の方々2〜4人にスタジオに来ていただき、私が司会しながら語り合ってもらいました。
第14回目の04年11月は、NPO法人「障害児と共に歩む」が運営する「心の相談室・つながりの家」で活動している小林厚子さん、伊勢里加さんにお話をお聞きしました。お2人は障害児のお母さんです。「つながりの家」は元市長公舎を利用しており、和室の古い建物です。理事長は小児科の先生でボランティアの応援も受けています。
前宮城県知事の浅野史郎さんが、障害者も地域の中で生活する、学校も地域の学校に通学するというノーマライゼーションを主張し、実践し始めたころでした。
そして今年3月、小林さんの二男和樹さん(23)が石巻専修大学経営学部を卒業しました。和樹さんはダウン症というハンディがありますが、番組や「つながりの家」でお会いし、お母さんの強い愛情、そしてわが子だけではなく同じ境遇の人たちへの熱い思いに感服しました。「石巻かほく」の記事で小林さんは「この日が来るなんて夢のよう。先生や友人が支えてくれたおかげです」と言っていますが、「つながりの家」は開所して10年になります。心の相談室に支えられた人たちは沢山います。障害者だけでなく心が病んでい青年、大人の相談にものっているそうです。
伊勢さんの二女知那子さん(13)は石巻市湊小学校を3月、卒業しました。番組でお話を聞いたのは2年生の時でした。脳などに重度の障害があるため、医療的な介助を受けながら通学していました。宮城県は03年から湊小を「障害児就学支援調査研究事業」のモデル3校の1校に指定しました。伊勢さんは「市教育委員会から養護学校に通学させたらと言われたが、モデル校になったので普通学級に進むことができた。補助の先生もいる。みんなで支えて下さっている」と言っていましたが、登下校など大変な様子でした。しかし、6年間、いろんなことを乗り越えて知那子さんは卒業しました。先生、クラスの仲間、地域の人たちに有形、無形の”力”をもたらしたと思います。
「石巻 元気を出そうよ」を放送した時、私も頑張ろうと思ったのですが、お2人の卒業の新聞記事を読み、「お母さん良かったね」とお祝いすると共に、これからもラジオ石巻を通して「石巻の元気づくり」にお手伝いしていこうと再認識した次第です。
2009年03月21日
良かったね、お2人の卒業。石巻は元気だ!
posted by 社長 at 22:47
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2008年12月21日
郷土史研究で河北文化賞の紫桃正隆先生逝く
旧河北町出身の紫桃正隆(しとうまさたか)先生が平成20年12月8日、心臓病のため87歳で亡くなりました。12日、石巻市・白寿殿で葬儀・告別式が行われ、私が最初に弔辞を述べさせていただきました。
紫桃先生は盛岡高等農林学校を卒業、高校で生物を教える傍ら、仙台藩主伊達政宗の人間性に迫る一方、伊達家の陰に隠れて目立たなかった大崎地方の有力大名・葛西家の盛衰に注目するなど、中世東北地方の埋もれた歴史に光を当てました。40冊を超える著書がありますが、第1作の「葛西氏と山内首藤一族」は1965年(昭和40年)に石巻市のタン書房から出版されました。私はその第1作を河北新報紙面で「高校教師が郷土史を出版」と紹介しました。紫桃先生の親類の方が記者クラブのキャップをしており、私は当時、教育・大学関係を担当していましたので、記事を書いたわけです。それだけでしたら、大した話ではないのですが、長い間、マスコミの仕事をして、いろいろな方とお付き合いしていると、ご縁というか、繋がりという“見えない糸で結ばれているなあ”と強く感じ入ってしまうのです。
紫桃先生は「民間人として郷土史研究に尽くした功績」で1995年度(平成7年)河北文化賞を受賞しましたが、第1作を記事にした30年後、私は河北新報役員として審査委員の1人として先生の郷土に懸ける熱い思いを他の委員に紹介したことが思い出されます。
「石巻かほく」時代も深いお付き合いをいただきました。私は「ラジオ石巻」に関わって6年を越えてしまいましたが、来年も紫桃先生に負けない”熱い思い”を抱いて「元気な石巻づくり」に地域ラジオを通してお手伝いしたいと思っています。
紫桃先生は盛岡高等農林学校を卒業、高校で生物を教える傍ら、仙台藩主伊達政宗の人間性に迫る一方、伊達家の陰に隠れて目立たなかった大崎地方の有力大名・葛西家の盛衰に注目するなど、中世東北地方の埋もれた歴史に光を当てました。40冊を超える著書がありますが、第1作の「葛西氏と山内首藤一族」は1965年(昭和40年)に石巻市のタン書房から出版されました。私はその第1作を河北新報紙面で「高校教師が郷土史を出版」と紹介しました。紫桃先生の親類の方が記者クラブのキャップをしており、私は当時、教育・大学関係を担当していましたので、記事を書いたわけです。それだけでしたら、大した話ではないのですが、長い間、マスコミの仕事をして、いろいろな方とお付き合いしていると、ご縁というか、繋がりという“見えない糸で結ばれているなあ”と強く感じ入ってしまうのです。
紫桃先生は「民間人として郷土史研究に尽くした功績」で1995年度(平成7年)河北文化賞を受賞しましたが、第1作を記事にした30年後、私は河北新報役員として審査委員の1人として先生の郷土に懸ける熱い思いを他の委員に紹介したことが思い出されます。
「石巻かほく」時代も深いお付き合いをいただきました。私は「ラジオ石巻」に関わって6年を越えてしまいましたが、来年も紫桃先生に負けない”熱い思い”を抱いて「元気な石巻づくり」に地域ラジオを通してお手伝いしたいと思っています。
posted by 社長 at 16:49
| 宮城
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2008年11月14日
女川町民弁論大会を放送します
11月3日の「文化に日」に開かれた第43回女川町民弁論大会は、300人を超す聴衆が出席して大盛況でした。審査委員長をした私を含めて7人の審査委員は、小学生5人、中学生7人、一般5人の弁論内容に大きな感銘を受けました。その内容を多くの方々に聞いてもらいたいのでラジオ石巻は15日(土)、22日(土)午前11時から1部と2部に分けて45分間放送します。1人5分前後の弁論ですので第1部は小学生5人、第2部は入賞の中学生3人、一般2人です。
中学生の最優秀賞は女川2中3年の須田海歩(かほ)さん。須田さんは昨年も最優秀賞になりました。「ばぁちゃん」の演題で、福井県にいるおばぁちゃんを訪ねた時、認知症なっているのに大好きなソースとんかつを作ってもらい、そこから現代社会が直面している高齢化問題を取り上げ、自分は将来、医師になって医療に携わりたい、述べました。
優秀賞は2中3年の木村美月(みづき)さん、演題は「人との出会い」。4中3年の阿部遥(はるか)さん、演題は「人権とは」。
一般は会場賞がコバルトーレ女川副キャプテンの桧垣篤典さん、「数年後の女川」。町を挙げて取り組んでいるサッカーチームと女川の姿を関連づけて熱を込めて語りました。37年間、審査委員長を務めた鈴木寿男さんを偲ぶ鈴木寿男賞は3小教諭の菅井秀生(しゅうせい)さん、「可能性を引き出すために」。
43年間、1つの町が石巻高校同窓生で作る女川鰐稜(がくりょう)会、若手経済人が中心の金曜会という民間組織が主催して継続していること、しかも内容がいずれも素晴らしいということに、私は大きな感動を受け、大人たちが教えられるものが多くありました。ぜひ、fm76・4メガヘルツにダイヤルを合わせて下さい。
中学生の最優秀賞は女川2中3年の須田海歩(かほ)さん。須田さんは昨年も最優秀賞になりました。「ばぁちゃん」の演題で、福井県にいるおばぁちゃんを訪ねた時、認知症なっているのに大好きなソースとんかつを作ってもらい、そこから現代社会が直面している高齢化問題を取り上げ、自分は将来、医師になって医療に携わりたい、述べました。
優秀賞は2中3年の木村美月(みづき)さん、演題は「人との出会い」。4中3年の阿部遥(はるか)さん、演題は「人権とは」。
一般は会場賞がコバルトーレ女川副キャプテンの桧垣篤典さん、「数年後の女川」。町を挙げて取り組んでいるサッカーチームと女川の姿を関連づけて熱を込めて語りました。37年間、審査委員長を務めた鈴木寿男さんを偲ぶ鈴木寿男賞は3小教諭の菅井秀生(しゅうせい)さん、「可能性を引き出すために」。
43年間、1つの町が石巻高校同窓生で作る女川鰐稜(がくりょう)会、若手経済人が中心の金曜会という民間組織が主催して継続していること、しかも内容がいずれも素晴らしいということに、私は大きな感動を受け、大人たちが教えられるものが多くありました。ぜひ、fm76・4メガヘルツにダイヤルを合わせて下さい。
posted by 社長 at 15:58
| 宮城
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2008年11月03日
ブログを再開します
しばらく私のブログを休んでいました。パソコンを新しいものにしましたが、設定の仕方が分からず、そのままにしていました。昨年11月3日、宮城県女川町の第42回町民弁論大会の審査委員長をしたので、その内容を報告しましたが、今日11月3日夜、43回大会があり、再度、審査委員長をしますので、ブログを再開することにしました。
地域FMラジオは限られたエリア内の放送局ですが、地域のいろいろな課題に出会います。ラジオ石巻は「むすぶ・つなぐ・地域の輪」が目指すスローガンです。石巻地域の出来事なども報告していきたいと思っています。
地域FMラジオは限られたエリア内の放送局ですが、地域のいろいろな課題に出会います。ラジオ石巻は「むすぶ・つなぐ・地域の輪」が目指すスローガンです。石巻地域の出来事なども報告していきたいと思っています。
posted by 社長 at 12:10
| 宮城
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2008年04月21日
石巻名誉市民・和賀井敏夫さん
石巻市合併3周年記念式典が開かれた4月20日、順天堂大名誉教授の和賀井敏夫さんが新市最初の名誉市民に選ばれた。和賀井さんは大正13年9月、当時の石巻町本町で誕生、83歳。父上は外科医院を開いており、小学校6年まで石巻で育った。旧制仙台二中、旧制二高、新潟医科大学を卒業して、順天堂医科大学外科教室で研究生活に入った。
和賀井さんは40年間の歳月を掛け、現在、世界の医療機関で使用されている超音波診断法(エコー)を初めて開発し、CT、MRI実用化の第一人者。以前、NHKの人気番組「プロジェクト]」で、和賀井さんの研究に取り組む姿が紹介されたが、式典会場では7分程度に圧縮して上映した。
受賞の挨拶で和賀井さんは「超音波で人間の体内を調べられないかと挑戦した。研究者をはじめ周りからは大変苦労したね、と言われたが、私は困難を困難と感じなかった。少し鈍いのかな。2年前に日本学士院賞を受けたが、ふるさと石巻からいただいた今日の名誉市民が一番うれしい。小学6年で石巻を離れたので、皆さんとのお付き合いはあまりないが、エコーなどでは付き合いは深いですね」とユーモアを交えながら述べられた。
石巻の今後については「海外に行くと港町が賑わっている。海と接した地域が見直されている。石巻は最初からウォターフロント、シーサイド、リバーサイドだ。これを活用してほしい」と提言された。
石巻には素晴らしい業績を上げた方々が沢山いる。郷土に誇りを持つにはそうした人物を知ることが大切と思う。
式典では「おらほの大賞(大将)」としてスポーツ、文化芸術で全国優勝などした25人、2団体が表彰された。受賞者を代表して第61回文化庁芸術賞を受賞した落語家の桂文生さんが「競争相手がいるから表彰された。これを忘れないことです」と述べたが、相手に思いやる心が大切と言いたかったのだろう。
和賀井さんは40年間の歳月を掛け、現在、世界の医療機関で使用されている超音波診断法(エコー)を初めて開発し、CT、MRI実用化の第一人者。以前、NHKの人気番組「プロジェクト]」で、和賀井さんの研究に取り組む姿が紹介されたが、式典会場では7分程度に圧縮して上映した。
受賞の挨拶で和賀井さんは「超音波で人間の体内を調べられないかと挑戦した。研究者をはじめ周りからは大変苦労したね、と言われたが、私は困難を困難と感じなかった。少し鈍いのかな。2年前に日本学士院賞を受けたが、ふるさと石巻からいただいた今日の名誉市民が一番うれしい。小学6年で石巻を離れたので、皆さんとのお付き合いはあまりないが、エコーなどでは付き合いは深いですね」とユーモアを交えながら述べられた。
石巻の今後については「海外に行くと港町が賑わっている。海と接した地域が見直されている。石巻は最初からウォターフロント、シーサイド、リバーサイドだ。これを活用してほしい」と提言された。
石巻には素晴らしい業績を上げた方々が沢山いる。郷土に誇りを持つにはそうした人物を知ることが大切と思う。
式典では「おらほの大賞(大将)」としてスポーツ、文化芸術で全国優勝などした25人、2団体が表彰された。受賞者を代表して第61回文化庁芸術賞を受賞した落語家の桂文生さんが「競争相手がいるから表彰された。これを忘れないことです」と述べたが、相手に思いやる心が大切と言いたかったのだろう。
posted by 社長 at 20:03
| 宮城
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2008年04月16日
フランク安田の偉業
石巻市出身のフランク安田(本名・恭輔)は「イヌイットのモーゼ」と言われた人だ。今年は没後50年ということから、ふるさとの偉人を思い返そうといろんな行事が行われている。フランク安田が命がけで築き上げたアラスカ・ビーバー村から小中学生、教師ら13人が4月T5日、石巻市を訪れ、恩人の生地の人たちと交流した。
新聞、テレビなどで報道されたが、ラジオ石巻はイオン石巻ショッピングセンター1周年祭のイベントの1つとして、同センター内で「アラスカの星・フランク安田没後50周年記念パネル展」を主催展示している。5月18日まで展示しているので、ぜひ見てほしい。
15日は安田の出身地、石巻市湊中学校の全校生が、イオンの招待で映画「アラスカ物語」を鑑賞した。この映画はは作家・新田次郎がフランク安田の生きざまに感激して書き下ろした小説「アラスカ物語」を、昭和52年(1977年)東宝が映画化したもので、北大路欣也が主演した。
私も一緒に鑑賞した。30年前の映画なので、現代の中学生達はどう感じたのだろうか。人種偏見、氷の中の苦闘、金鉱探し、イヌイット(このころはエスキモーと言っていた)の人たちを救おうと、安住の地を求めてインディアンとの交渉など安田の前半の姿を描いた映画。重苦しい内容だったが、中学生たちは、時折、驚きにも似た声を上げてじっと鑑賞していた。何人かに感想を聞いた。「すごい石巻人がいた」「誇りに思う」「初めて知った」などと言っていた。
私は昭和55年(1980年)河北新報石巻支局長として石巻に来た。当時、石巻図書館長で郷土史家の橋本晶さん(故人)から、新田次郎が来石した際、フランク安田の取材の案内や資料探しの手伝いをしたことをよく聞かされた。小説「アラスカ物語」を読み、素晴らしい人が石巻にいることに感銘した。
そのフランク安田の業績を今、石巻の人たちに伝えるお手伝いをしていることにうれしさを感じている。
新聞、テレビなどで報道されたが、ラジオ石巻はイオン石巻ショッピングセンター1周年祭のイベントの1つとして、同センター内で「アラスカの星・フランク安田没後50周年記念パネル展」を主催展示している。5月18日まで展示しているので、ぜひ見てほしい。
15日は安田の出身地、石巻市湊中学校の全校生が、イオンの招待で映画「アラスカ物語」を鑑賞した。この映画はは作家・新田次郎がフランク安田の生きざまに感激して書き下ろした小説「アラスカ物語」を、昭和52年(1977年)東宝が映画化したもので、北大路欣也が主演した。
私も一緒に鑑賞した。30年前の映画なので、現代の中学生達はどう感じたのだろうか。人種偏見、氷の中の苦闘、金鉱探し、イヌイット(このころはエスキモーと言っていた)の人たちを救おうと、安住の地を求めてインディアンとの交渉など安田の前半の姿を描いた映画。重苦しい内容だったが、中学生たちは、時折、驚きにも似た声を上げてじっと鑑賞していた。何人かに感想を聞いた。「すごい石巻人がいた」「誇りに思う」「初めて知った」などと言っていた。
私は昭和55年(1980年)河北新報石巻支局長として石巻に来た。当時、石巻図書館長で郷土史家の橋本晶さん(故人)から、新田次郎が来石した際、フランク安田の取材の案内や資料探しの手伝いをしたことをよく聞かされた。小説「アラスカ物語」を読み、素晴らしい人が石巻にいることに感銘した。
そのフランク安田の業績を今、石巻の人たちに伝えるお手伝いをしていることにうれしさを感じている。
posted by 社長 at 22:54
| 宮城
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2008年04月03日
平成20年度スタート
新年度がスタートしました。しばらくブログを休んでしまいましたが、これからはできるだけ発信します。
イオン石巻ショッピングセンターが昨年3月末にオープンしてから1年たちました。イオンは石巻店で3月から5月にかけて6つの1周年謝恩企画を行っています。ラジオ石巻は開店以来、毎週土曜、日曜日昼に店内サテライトスタジオから地域に目を向けた放送をしてきました。
イオンは「次世代のこども達にふるさと石巻の誇りを伝えたい」という趣旨で1周年謝恩企画を計画しましたので、ラジオ石巻は賛同して6つの企画を主催させていただくことにしました。
3月22日から4月20日まで石巻日日新聞、石巻かほくの写真展を開催していますが、4月14日から5月18日まで「アラスカの星・フランク安田没後50周年記念展」「初めて世界一周した日本人ー石巻若宮丸漂流民の足跡」の2つのパネル展を行います。そのほか「旧河南町の宝ヶ峯縄文記念館展」「石巻で働くお父さん、お母さんの写真展」「いしのまき百景写真コンテスト」を次々開催します。
ラジオ石巻は「むすぶ・つなぐ・地域の輪」をスローガンに掲げています。6つの企画は各方面のご協力を得ていますが、このイベントを通して地域の絆がさらに深まっていくことを願っています。
イオン石巻ショッピングセンターが昨年3月末にオープンしてから1年たちました。イオンは石巻店で3月から5月にかけて6つの1周年謝恩企画を行っています。ラジオ石巻は開店以来、毎週土曜、日曜日昼に店内サテライトスタジオから地域に目を向けた放送をしてきました。
イオンは「次世代のこども達にふるさと石巻の誇りを伝えたい」という趣旨で1周年謝恩企画を計画しましたので、ラジオ石巻は賛同して6つの企画を主催させていただくことにしました。
3月22日から4月20日まで石巻日日新聞、石巻かほくの写真展を開催していますが、4月14日から5月18日まで「アラスカの星・フランク安田没後50周年記念展」「初めて世界一周した日本人ー石巻若宮丸漂流民の足跡」の2つのパネル展を行います。そのほか「旧河南町の宝ヶ峯縄文記念館展」「石巻で働くお父さん、お母さんの写真展」「いしのまき百景写真コンテスト」を次々開催します。
ラジオ石巻は「むすぶ・つなぐ・地域の輪」をスローガンに掲げています。6つの企画は各方面のご協力を得ていますが、このイベントを通して地域の絆がさらに深まっていくことを願っています。
posted by 社長 at 20:57
| 宮城
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2008年01月08日
明けましておめでとうございます。
ラジオ石巻は今年は開局11周年を迎えました。元日、2日、3日の3日間、イオン石巻ショッピングセンターサテライトスタジオから「あけまし、いしのまき」のタイトルで初売り、初詣で、イベントなど石巻地域のお正月風景を生中継放送をしました。放送の合間に石巻、東松島両市長、石巻選出の国会議員、県議会議員、石巻商工会議所会頭ら14人の新春トーク、ねずみ年生まれの方々の「私の夢」などを放送しました。
10周年を記念して配備した移動無線中継車「らじいし号」も出動して初詣で、イベントなどを中継して好評を得ました。
お正月3が日に生中継放送するのは初めてのことで、社員が総出勤、フリーアナ、サポーターズクラブ員の応援もあって、事前の計画を無事に果たすことができました。
「むすぶ・つなぐ・地域の輪」が私たちのスローガンです。親しまれ、信頼されるラジオ石巻を目指して今年も頑張ります。一層のご指導、応援をお願いします。
10周年を記念して配備した移動無線中継車「らじいし号」も出動して初詣で、イベントなどを中継して好評を得ました。
お正月3が日に生中継放送するのは初めてのことで、社員が総出勤、フリーアナ、サポーターズクラブ員の応援もあって、事前の計画を無事に果たすことができました。
「むすぶ・つなぐ・地域の輪」が私たちのスローガンです。親しまれ、信頼されるラジオ石巻を目指して今年も頑張ります。一層のご指導、応援をお願いします。
posted by 社長 at 16:44
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2007年12月03日
水押暁工兵隊、ギャラクシー賞2次審査へ
8月7日、9月17日の私のブログで書きましたが、ラジオ石巻開局10周年記念番組として放送したドキュメンタリー「今明かされる水押暁工兵隊」「続・水押暁工兵隊」についてご報告します。
いずれも石巻地域の皆さんに大きな反響を呼び、初めて取り組んだドキュメンタリー番組が、どうにか成功したのだと喜び合いました。
全国的な評価はどうだろうかと、放送界の全国コンテスト「ギャラクシー賞」ラジオ部門の報道・ドキュメンタリー部門に応募してみました。17点が応募して、1次審査で10点が残りました。当社の作品は10点の中に入りましたが、2次審査までで3次審査(5点)には進めませんでした。
11月21日には「石巻日和野球倶楽部の軌跡」という特別番組を放送しました。日和倶楽部は1914年(大正3年)、「石巻野球界の父」と言われる故・毛利理惣治さんが創った社会人野球チーム。日本では「函館オーシャン」に次いで2番目。戦後の1945年(昭和20年)10月、旧制石巻中校庭で進駐軍チームと日米野球大会をしたエピソードなど歴史の証言者の声を織り交ぜながらのラジオ放送は野球ファンに喜ばれました。
鈴木常務放送局長の企画、脚本による番組でしたが、今後も歴史に残る地域話題をドキュメンタリー化する番組をお届けするつもりです。
いずれも石巻地域の皆さんに大きな反響を呼び、初めて取り組んだドキュメンタリー番組が、どうにか成功したのだと喜び合いました。
全国的な評価はどうだろうかと、放送界の全国コンテスト「ギャラクシー賞」ラジオ部門の報道・ドキュメンタリー部門に応募してみました。17点が応募して、1次審査で10点が残りました。当社の作品は10点の中に入りましたが、2次審査までで3次審査(5点)には進めませんでした。
11月21日には「石巻日和野球倶楽部の軌跡」という特別番組を放送しました。日和倶楽部は1914年(大正3年)、「石巻野球界の父」と言われる故・毛利理惣治さんが創った社会人野球チーム。日本では「函館オーシャン」に次いで2番目。戦後の1945年(昭和20年)10月、旧制石巻中校庭で進駐軍チームと日米野球大会をしたエピソードなど歴史の証言者の声を織り交ぜながらのラジオ放送は野球ファンに喜ばれました。
鈴木常務放送局長の企画、脚本による番組でしたが、今後も歴史に残る地域話題をドキュメンタリー化する番組をお届けするつもりです。
posted by 社長 at 17:27
| 宮城
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ラジオ石巻で放送した女川町民弁論大会
「文化の日」の11月3日、第42回女川町民弁論大会が町内の生涯教育センター大ホールで開かれました。石巻高校OBで作る女川鰐陵同窓会と若手経済人の金曜会が主催して長い間、開いている町民手作りの弁論大会です。小学生、中学生、一般の3部に分かれ、今年は小学6年生5名、中学生7名、一般5名が出場して熱弁をふるいました。このような町をあげた弁論大会を開いているケースは全国的にも珍しく、いまでは女川町の秋の名物になっています。
小学生は「ふるさと女川の未来と私」のテーマで作文発表しました。中学生、一般は審査員による審査があり、中学生の部最優秀賞には女川二中2年の須田海歩(かほ)さん、優秀賞には女川一中3年の伊藤圭祐(けいすけ)君、女川四中3年の石森勇紀(ゆうき)君が選ばれました。
一般は会場に来た町民が投票して審査する方式をとっており、トップの会場賞には女川一中の先生、高橋雅(まさし)さん、特別賞の鈴木寿男(ひさお)賞には女川高校2年の荒川由貴(ゆき))さんが選ばれました。
ラジオ石巻は入賞者5名の弁論を放送しますので、お聴きください。弁論時間はお一人5分間となっています。
審査委員長はラジオ石巻社長の相沢雄一郎が務め、弁論内容の講評をしましたので、感想を最後に述べます。
中学生の部最優秀賞の女川二中2年、須田海歩(かほ)さんです。演題は「中二の夏」です。
中学生の部優秀賞の女川一中3年、伊藤圭祐(けいすけ)君です。演題は「一中野球部バンザイ」です。
中学生の部優秀賞の女川四中3年、石森勇紀(ゆうき)君です。演題は「女川町民として」です。
一般の部会場賞の女川一中、高橋雅(まさし)先生です。演題は「さらなる発展へ」です。
一般の部鈴木寿男(ひさお)賞の女川高校2年、荒川由貴(ゆき)さんです。演題は「高校2年生」です。
<審査の感想>
ラジオ石巻社長の相沢雄一郎です。今、第42回女川町民弁論大会の入賞者5名の発表内容を放送しましたが、いかがでしたか。私は、審査委員長をして出場した小学生5名、中学生7名、一般5名、合わせて17名全員の発表を聞きました。
皆さんいずれも素晴らしい内容、発表態度で大変感銘を受けました。会場にお出でになった町民だけではなく、多くの人たちに聞いてもらいたくて、入賞者5名の方々の発表内容を放送したわけです。中学生の部 最優秀賞の須田海歩(かほ)さんは今年夏、女川町の海外研修留学でカナダへ行き、日本と比べてみて色々学ぶ点があり、一回りも二回りも人間的に大きくなった。特に日本人は物欲が強いと感じたそうです。名前の“かほ”は海と歩くという字を書きますが、須田さんは「これからは海を歩くように」と、結んだのが印象的でした。
優秀賞の伊藤圭祐(けいすけ)君は女川1中野球部の補欠選手ですが、ユニフォーム姿で登壇しました。29年ぶりに全県大会でベスト4に入り、みんなの力が結集したこと、応援団の支えが大きいことを発表しましたが、須田君が女川1中で得たものは、今後の人生にきっと役立つことでしょう。
同じ優秀賞の石森勇紀(ゆうき)君は女川町の町民憲章を取り上げ文化の街づくりを進めようと具体的な事例を上げて主張しました。
一般では女川1中の高橋雅(まさし)先生が、「さらなる発展」の演題で熱弁をふるいましたが、体全体から沸きあがる熱血先生の意気込みが伝わり、聴衆が投票する審査でトップを獲得し会場賞に輝きました。
特別賞の鈴木寿男賞には女川高校2年生の荒川由貴(ゆき)さんが介護施設で働いた体験を通して高齢化社会、家族が支え合うことの大切さを主張しました。
このほか、サッカーチームのコバルトーレ女川の川村拓矢(たくや)キャプテンが、Jリーグを目指すと強く主張しました。町をあげての支援がさらに必要と思いました。また、女川町には東北電力の原子力発電所が3基あります。女川地域総合事務所所長代理の三浦信治(しんじ)さんが原発と地域の共存に長い間携わってきた体験を話され、そのご苦労ぶりに大きな拍手がおこりました。
小学6年の5名は、ふるさと女川が直面している高齢化、人口減少などをしっかりとらえ、将来の歩む道を自分なりに考えていました。しかし、女川はとてもいい町だ。海に面したこの美しい女川を大事にしようという思いが伝わってきました。
私は昭和55年(1980年)河北新報石巻支局長として石巻に来ましたが、4年連続して毎年11月3日に開かれる女川町民弁論大会の審査員をしました。第1回から37回まで審査委員長をしてきた石巻鰐稜同窓会長の鈴木寿男さんに頼まれ、審査委員になりましたが、行って見て驚きました。会場は昔の公民館でしたが、小学生から大人まで、堂々と発表する。論旨も素晴らしい。この4年間は、楽しみでした。
今回、24年ぶりに審査委員長として出席しましたが、ふるさとを思う、愛する女川町民の熱気はいささかも薄れていませんでした。むしろ、高まっていると感じました。女川鰐陵会、金曜会の皆さん、女川役場職員の皆さんのご努力に深い敬意を表します。来年の弁論大会を今から楽しみにしています。
小学生は「ふるさと女川の未来と私」のテーマで作文発表しました。中学生、一般は審査員による審査があり、中学生の部最優秀賞には女川二中2年の須田海歩(かほ)さん、優秀賞には女川一中3年の伊藤圭祐(けいすけ)君、女川四中3年の石森勇紀(ゆうき)君が選ばれました。
一般は会場に来た町民が投票して審査する方式をとっており、トップの会場賞には女川一中の先生、高橋雅(まさし)さん、特別賞の鈴木寿男(ひさお)賞には女川高校2年の荒川由貴(ゆき))さんが選ばれました。
ラジオ石巻は入賞者5名の弁論を放送しますので、お聴きください。弁論時間はお一人5分間となっています。
審査委員長はラジオ石巻社長の相沢雄一郎が務め、弁論内容の講評をしましたので、感想を最後に述べます。
中学生の部最優秀賞の女川二中2年、須田海歩(かほ)さんです。演題は「中二の夏」です。
中学生の部優秀賞の女川一中3年、伊藤圭祐(けいすけ)君です。演題は「一中野球部バンザイ」です。
中学生の部優秀賞の女川四中3年、石森勇紀(ゆうき)君です。演題は「女川町民として」です。
一般の部会場賞の女川一中、高橋雅(まさし)先生です。演題は「さらなる発展へ」です。
一般の部鈴木寿男(ひさお)賞の女川高校2年、荒川由貴(ゆき)さんです。演題は「高校2年生」です。
<審査の感想>
ラジオ石巻社長の相沢雄一郎です。今、第42回女川町民弁論大会の入賞者5名の発表内容を放送しましたが、いかがでしたか。私は、審査委員長をして出場した小学生5名、中学生7名、一般5名、合わせて17名全員の発表を聞きました。
皆さんいずれも素晴らしい内容、発表態度で大変感銘を受けました。会場にお出でになった町民だけではなく、多くの人たちに聞いてもらいたくて、入賞者5名の方々の発表内容を放送したわけです。中学生の部 最優秀賞の須田海歩(かほ)さんは今年夏、女川町の海外研修留学でカナダへ行き、日本と比べてみて色々学ぶ点があり、一回りも二回りも人間的に大きくなった。特に日本人は物欲が強いと感じたそうです。名前の“かほ”は海と歩くという字を書きますが、須田さんは「これからは海を歩くように」と、結んだのが印象的でした。
優秀賞の伊藤圭祐(けいすけ)君は女川1中野球部の補欠選手ですが、ユニフォーム姿で登壇しました。29年ぶりに全県大会でベスト4に入り、みんなの力が結集したこと、応援団の支えが大きいことを発表しましたが、須田君が女川1中で得たものは、今後の人生にきっと役立つことでしょう。
同じ優秀賞の石森勇紀(ゆうき)君は女川町の町民憲章を取り上げ文化の街づくりを進めようと具体的な事例を上げて主張しました。
一般では女川1中の高橋雅(まさし)先生が、「さらなる発展」の演題で熱弁をふるいましたが、体全体から沸きあがる熱血先生の意気込みが伝わり、聴衆が投票する審査でトップを獲得し会場賞に輝きました。
特別賞の鈴木寿男賞には女川高校2年生の荒川由貴(ゆき)さんが介護施設で働いた体験を通して高齢化社会、家族が支え合うことの大切さを主張しました。
このほか、サッカーチームのコバルトーレ女川の川村拓矢(たくや)キャプテンが、Jリーグを目指すと強く主張しました。町をあげての支援がさらに必要と思いました。また、女川町には東北電力の原子力発電所が3基あります。女川地域総合事務所所長代理の三浦信治(しんじ)さんが原発と地域の共存に長い間携わってきた体験を話され、そのご苦労ぶりに大きな拍手がおこりました。
小学6年の5名は、ふるさと女川が直面している高齢化、人口減少などをしっかりとらえ、将来の歩む道を自分なりに考えていました。しかし、女川はとてもいい町だ。海に面したこの美しい女川を大事にしようという思いが伝わってきました。
私は昭和55年(1980年)河北新報石巻支局長として石巻に来ましたが、4年連続して毎年11月3日に開かれる女川町民弁論大会の審査員をしました。第1回から37回まで審査委員長をしてきた石巻鰐稜同窓会長の鈴木寿男さんに頼まれ、審査委員になりましたが、行って見て驚きました。会場は昔の公民館でしたが、小学生から大人まで、堂々と発表する。論旨も素晴らしい。この4年間は、楽しみでした。
今回、24年ぶりに審査委員長として出席しましたが、ふるさとを思う、愛する女川町民の熱気はいささかも薄れていませんでした。むしろ、高まっていると感じました。女川鰐陵会、金曜会の皆さん、女川役場職員の皆さんのご努力に深い敬意を表します。来年の弁論大会を今から楽しみにしています。
posted by 社長 at 13:43
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2007年09月17日
水押暁工兵隊続編について
ラジオ石巻開局10周年記念特別番組として、8月8日にドキュメンタリー「今明かされる水押暁工兵隊」(1時間)を放送しましたが、聴取者のなかから、「その工兵隊のことを知っている」という反響が多く寄せられました。そこで続編を制作して17日午前9時半から放送しました。6人に方にインタビューして構成しましたが、戦後60年経っても、わが国が連合軍に降伏した昭和20年(1945年)8月15日以前の長い戦争の傷跡、それぞれの思いが風化されていないことが、よく伝わってきたと思います。
この番組は、4月からラジオ石巻常務取締役放送局長に就任した鈴木孝也さんの提案で実現しました。鈴木常務は石巻かほくを発行する三陸河北新報社で27年間、編集部門を担当しており、暁工兵隊のことを知っていました。関係者が次々亡くなっていき、ラジオで歴史の証言は出来ないだろうか、ということからドキュメンタリー番組制作に挑戦しました。
ラジオ石巻では初めての経験でしたが、鈴木常務が台本を書き、インタビュー、高橋幸枝企画制作部長・アナウンサーがナレーターを務めました。バックに入れる音楽などスタッフが協力して完成しました。 当社は純然たる民間FMラジオ局です。番組には提供スポンサーが不可欠です。企画に賛同して、多くのスポンサーが応援してくださいました。心から感謝いたします。
今度の特別番組制作に挑戦することによって、地域に密着した番組を放送することの大切さを再確認いたしました。移動無線中継車「らじいし号」も街のなかのスタジオとして動き回っています。石巻地域のラジオ局をどうぞご支援ください。
なお続編の再放送は9月20日午後2時半からです。
この番組は、4月からラジオ石巻常務取締役放送局長に就任した鈴木孝也さんの提案で実現しました。鈴木常務は石巻かほくを発行する三陸河北新報社で27年間、編集部門を担当しており、暁工兵隊のことを知っていました。関係者が次々亡くなっていき、ラジオで歴史の証言は出来ないだろうか、ということからドキュメンタリー番組制作に挑戦しました。
ラジオ石巻では初めての経験でしたが、鈴木常務が台本を書き、インタビュー、高橋幸枝企画制作部長・アナウンサーがナレーターを務めました。バックに入れる音楽などスタッフが協力して完成しました。 当社は純然たる民間FMラジオ局です。番組には提供スポンサーが不可欠です。企画に賛同して、多くのスポンサーが応援してくださいました。心から感謝いたします。
今度の特別番組制作に挑戦することによって、地域に密着した番組を放送することの大切さを再確認いたしました。移動無線中継車「らじいし号」も街のなかのスタジオとして動き回っています。石巻地域のラジオ局をどうぞご支援ください。
なお続編の再放送は9月20日午後2時半からです。
posted by 社長 at 17:21
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2007年09月03日
9月から番組改編
ラジオ石巻は9月3日(月)から番組を改編します。5月に開局10周年を迎えましたのを機会に、地域密着の方針をこれまで以上に高めようと番組内容について検討を重ねてきました。その結果、できるだけ多くの皆さんの声を、ラジオ石巻の電波に乗せてお届けする番組を作って放送することにしました。
番組構成は▽「朝生ワイド764」(午前7時〜午前9時30分)▽「らじいしパーク764」(午前10時〜正午)・(午後1時〜午後4時)▽「夕方チャンネル764」(午後4時〜午後7時)として、これまでの「うれし!たのし!エブリデイ」(午前10時〜正午)「ラジオで一茶!」(午後1時 〜午後4時)は取りやめます。
詳しい内容はラジオ石巻ホームページの番組テーブル、番組紹介をご覧になってください。パーソナリティの担当も変更します。
私は地域FMラジオは、その地域の皆さんたちの声、話題、情報をきめ細かにお伝えする、そしてその地域が元気になる、活性化するお手伝い役になることが役割と思っています。
それを実行する1つとして移動無線中継車「らじいし号」を配備しました。月曜日から金曜日まで午後1時から30分間、「らじいし号」を街の中に出動させます。大地震発生の確率が高いと予測されていますが、万一の災害には行政、警察などと協力して情報の伝達に努めます。
「むすぶ・つなぐ・地域の輪」がラジオ石巻のスローガンです。番組改編について、ご意見をお寄せください。
番組構成は▽「朝生ワイド764」(午前7時〜午前9時30分)▽「らじいしパーク764」(午前10時〜正午)・(午後1時〜午後4時)▽「夕方チャンネル764」(午後4時〜午後7時)として、これまでの「うれし!たのし!エブリデイ」(午前10時〜正午)「ラジオで一茶!」(午後1時 〜午後4時)は取りやめます。
詳しい内容はラジオ石巻ホームページの番組テーブル、番組紹介をご覧になってください。パーソナリティの担当も変更します。
私は地域FMラジオは、その地域の皆さんたちの声、話題、情報をきめ細かにお伝えする、そしてその地域が元気になる、活性化するお手伝い役になることが役割と思っています。
それを実行する1つとして移動無線中継車「らじいし号」を配備しました。月曜日から金曜日まで午後1時から30分間、「らじいし号」を街の中に出動させます。大地震発生の確率が高いと予測されていますが、万一の災害には行政、警察などと協力して情報の伝達に努めます。
「むすぶ・つなぐ・地域の輪」がラジオ石巻のスローガンです。番組改編について、ご意見をお寄せください。
posted by 社長 at 11:40
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2007年08月07日
開局10周年記念番組「今明かされる暁工兵隊」
ラジオ石巻は今年開局10周年を迎えました。これを記念して1時間のドキュメンタリー番組「今明かされる水押暁工兵隊」を制作しました。このような番組制作は初めてのことですが、60年以上前の隊員の証言を交えて構成しており、地元に密着したラジオ局にふさわしい番組と自負しています。ぜひお聴き下さい。
62年前の昭和20年(1945年)8月15日、日本は太平洋戦争に敗れ無条件降伏しました。私は小学5年生で秋田県内で終戦を迎えました。その日は暑く真っ青な夏空が広がっていました。昭和天皇がラジオを通して戦争を終結すると放送したのですが、雑音が混じりはっきり分かりませんでした。
水押暁工兵隊は昭和10年ころから終戦まで石巻市水押地区に置かれた仙台二師団所属の工兵隊です。200人ぐらいの兵士が北上川で船を漕いだり、渡河訓練をするなどしました。訓練後は中国、東南アジアなどの戦地へ送られて行きました。夜明け前に作戦を展開することから「暁工兵隊」と呼びました。
60年以上の歳月が経ちますと、戦死者はじめ多くの人が亡くなり当時の証言者は少なくなるばかりです。まして石巻地方となると数人程度。その中から隊員だった後藤市之助さん(86歳、石巻市桃浦)、工兵隊幹部を世話意した清野太兵衛さん(81歳、同市駅前北通り)らの話を聞きました。戦後、水押の兵舎は引揚者たちの市営住宅になりましたが、昭和33年5月、火災で焼失しました。
広島、長崎に原子爆弾が投下され多くの市民が死に、いまなお原爆後遺症で苦しんでいる方が多勢います。戦争を知らない、体験したことのない世代が増えていますが、この特別番組を通して平和の大切さを知ってほしいものです。
放送日は8月8日正午から午後1時。再放送は終戦記念日の8月15日午後7時から同8時。
62年前の昭和20年(1945年)8月15日、日本は太平洋戦争に敗れ無条件降伏しました。私は小学5年生で秋田県内で終戦を迎えました。その日は暑く真っ青な夏空が広がっていました。昭和天皇がラジオを通して戦争を終結すると放送したのですが、雑音が混じりはっきり分かりませんでした。
水押暁工兵隊は昭和10年ころから終戦まで石巻市水押地区に置かれた仙台二師団所属の工兵隊です。200人ぐらいの兵士が北上川で船を漕いだり、渡河訓練をするなどしました。訓練後は中国、東南アジアなどの戦地へ送られて行きました。夜明け前に作戦を展開することから「暁工兵隊」と呼びました。
60年以上の歳月が経ちますと、戦死者はじめ多くの人が亡くなり当時の証言者は少なくなるばかりです。まして石巻地方となると数人程度。その中から隊員だった後藤市之助さん(86歳、石巻市桃浦)、工兵隊幹部を世話意した清野太兵衛さん(81歳、同市駅前北通り)らの話を聞きました。戦後、水押の兵舎は引揚者たちの市営住宅になりましたが、昭和33年5月、火災で焼失しました。
広島、長崎に原子爆弾が投下され多くの市民が死に、いまなお原爆後遺症で苦しんでいる方が多勢います。戦争を知らない、体験したことのない世代が増えていますが、この特別番組を通して平和の大切さを知ってほしいものです。
放送日は8月8日正午から午後1時。再放送は終戦記念日の8月15日午後7時から同8時。
posted by 社長 at 16:03
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2007年06月19日
毛利コレクション
18日夜、石巻グランドホテルで19年度毛利コレクション等博物館建設を推進する会の総会が開かれました。故毛利総七郎さんが明治、大正、昭和の三代、約70年の歳月を費やして収集した5〜7万点の大コレクションを石巻以外に流出させないように博物館を作って保存、展示しようと約360人の市民、法人が5年掛かりで運動しています。石巻市は財政難で博物館新設は無理といっていますが、総会には土井石巻市長が出席して挨拶し、市は6月1日に歴史文化資料展示施設整備対策室を発足させて何らかの具体策を提示していく方向を示唆しました。
コレクション継承者の毛利伸さんは、石巻市が早く具体策を示さなければ、「重大な決意をせざるを得ない」と言ってます。
推進する会の会長は阿部宏元市教育長で私は副会長をしています。ラジオ石巻では「市民に財産・毛利コレクション」という番組を平成15年から2年間、放送していました。地域文化の継承保存はいろんな手立てがあると思います。ようやく明るい光が差し込んできた今、行政、市民が一体となった取り組みをしないと、市民の財産・毛利コレクションは流出してしまう危機的状況にあるということも訴えたいと思います。
コレクション継承者の毛利伸さんは、石巻市が早く具体策を示さなければ、「重大な決意をせざるを得ない」と言ってます。
推進する会の会長は阿部宏元市教育長で私は副会長をしています。ラジオ石巻では「市民に財産・毛利コレクション」という番組を平成15年から2年間、放送していました。地域文化の継承保存はいろんな手立てがあると思います。ようやく明るい光が差し込んできた今、行政、市民が一体となった取り組みをしないと、市民の財産・毛利コレクションは流出してしまう危機的状況にあるということも訴えたいと思います。
posted by 社長 at 10:07
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2007年06月09日
10周年を機に
先日、山形市で第10回東北コミュニティ放送協議会総会が開かれました。東北地方には21局のFMコミュニティラジオ局があります。会社の成り立ち、経営の仕方、放送内容などそれぞれの地域性によって違いはありますが、一緒に集まって情報交換し、意見を出し合うことはラジオ石巻にとっても大変参考になりました。今回は仙台管区気象台、自衛隊東北方面総監部の責任者から地震発生、災害救助体制などの講話をお聞きし、災害時における地域FMラジオ局の役割の重さを再確認させられました。
ラジオ石巻は去る5月28日、放送開始10周年を迎えましたが、これを記念して移動無線中継車を配備しました。三陸自動車道桃生津山IC開通式、東松嶋市防災訓練にラジオカーを出動させて地域情報の発信にこれまで以上に努めることにしました。
「むすぶ・つなぐ・地域の輪」はラジオ石巻のスローガンです。地域の人たちのお声を電波を通してできるだけ多く放送するように、番組内容の編成改善を検討しています。石巻地域の身近な情報発信基地として10周年を機にさらに高くジャンプします。
ラジオ石巻は去る5月28日、放送開始10周年を迎えましたが、これを記念して移動無線中継車を配備しました。三陸自動車道桃生津山IC開通式、東松嶋市防災訓練にラジオカーを出動させて地域情報の発信にこれまで以上に努めることにしました。
「むすぶ・つなぐ・地域の輪」はラジオ石巻のスローガンです。地域の人たちのお声を電波を通してできるだけ多く放送するように、番組内容の編成改善を検討しています。石巻地域の身近な情報発信基地として10周年を機にさらに高くジャンプします。
posted by 社長 at 11:43
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2007年05月28日
移動中継無線車を配備しました。

ラジオ石巻は、放送開始10周年を記念して移動無線中継車を
5月28日に配備しました。地域情報をきめ細かに発信し、そして災害が発生したら、すかさず情報を伝えていきます。いろんなイベントにも出て行きますので、地域の皆様のお役に立てるように取り組んでまいります。
この写真のラジオカーが、これから街の中を走ります。
どうぞ、よろしくお願いします。
posted by 社長 at 16:45
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放送開始10周年を迎えて
ラジオ石巻(石巻コミュニティ放送)が放送開始したのは平成9年(1997年)5月28日でした。石巻グランドホテルで開局記念パーティーが開かれ、石巻地方の政治、経済、文化、教育、スポーツなど各界各分野から大勢の方々が出席して、地域FMラジオ局のスタートを祝いました。当時の宮城県知事の浅野史郎さんも見えられお祝いの言葉を述べるなど大盛況でした。
私はそのころ、河北新報社常務で「石巻かほく」を発行している三陸河北新報社社長をしていましたので、招待され出席しました。地域FMラジオ局は平成7,8年ころから地域の情報メディアとして開局し始めたばかりで、地域の活性化に役立つだろうと期待されていました。
河北新報石巻支局長として昭和55年(1980年)から4年間、「石巻かほく」創刊に携わり、“生みの苦しみ”を体験したものですから、ラジオ石巻の順調な発展を願い、活字と電波の地域メディアが協力し合っていけたら、と思いました。
その時は、ラジオ石巻の経営に携わるとは思ってもみませんでした。先の社長ブログで書きましたが、いろんな事情があって平成14年5月27日に3代目社長に就任しました。
「オール市民ラジオ」「地域密着」「中立公正」を基本方針に掲げ、再生に乗り出しました。地域の多くの皆様の応援に支えられ、地域ラジオとしての役目をどうにか果たすまでになったと思ってます。心より御礼と感謝申し上げます。
5月28日に放送開始10周年を迎えます。10周年の記念パーティーを開くことも検討したのですが、もっと地道に、堅実に地域ラジオ局として取り組むことが大切と考えます。そこで10周年を記念して移動無線中継車、いわゆるラジオカーを配備することにしました。宮城県沖地震クラスの大地震発生の確率が高いと予測されています。災害情報の伝達、地域のイベントなど街の声をラジオカーで伝えます。近日中に放送エリア内を走り回ります。
新しいスローガンの「むすぶ・つなぐ・地域の輪」を合言葉にし、親しまれ、愛され、信頼される番組を放送するように社員、スタッフ一同頑張ります。一層のご支援、ご指導をお願いします。
平成19年5月吉日
私はそのころ、河北新報社常務で「石巻かほく」を発行している三陸河北新報社社長をしていましたので、招待され出席しました。地域FMラジオ局は平成7,8年ころから地域の情報メディアとして開局し始めたばかりで、地域の活性化に役立つだろうと期待されていました。
河北新報石巻支局長として昭和55年(1980年)から4年間、「石巻かほく」創刊に携わり、“生みの苦しみ”を体験したものですから、ラジオ石巻の順調な発展を願い、活字と電波の地域メディアが協力し合っていけたら、と思いました。
その時は、ラジオ石巻の経営に携わるとは思ってもみませんでした。先の社長ブログで書きましたが、いろんな事情があって平成14年5月27日に3代目社長に就任しました。
「オール市民ラジオ」「地域密着」「中立公正」を基本方針に掲げ、再生に乗り出しました。地域の多くの皆様の応援に支えられ、地域ラジオとしての役目をどうにか果たすまでになったと思ってます。心より御礼と感謝申し上げます。
5月28日に放送開始10周年を迎えます。10周年の記念パーティーを開くことも検討したのですが、もっと地道に、堅実に地域ラジオ局として取り組むことが大切と考えます。そこで10周年を記念して移動無線中継車、いわゆるラジオカーを配備することにしました。宮城県沖地震クラスの大地震発生の確率が高いと予測されています。災害情報の伝達、地域のイベントなど街の声をラジオカーで伝えます。近日中に放送エリア内を走り回ります。
新しいスローガンの「むすぶ・つなぐ・地域の輪」を合言葉にし、親しまれ、愛され、信頼される番組を放送するように社員、スタッフ一同頑張ります。一層のご支援、ご指導をお願いします。
平成19年5月吉日
posted by 社長 at 13:55
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2007年03月16日
ご無沙汰しました
パソコンからの送信をマスターできなかったので、中断していました。当社は去る2月23日、第11期定時株主総会を開きました。社長の私を含めて取締役12名、監査役2名全員が任期満了となりましたが、取締役2名が退任し新しく鈴木孝也氏(三陸河北新報社編集総務)、大森信治郎氏(大もり屋本店代表取締役)が選任されました。ほかは全員再任されました。総会後の取締役会で私が社長としてさらに2年間、重責を務めることになりました。鈴木氏は三陸河北新報社を退社し、4月1日に常務取締役放送局長として常勤します。57歳。登米高、日大法学部卒。
前の日記に書いていますが、1980年、私が「石巻かほく」創刊の現地責任者となったときに鈴木氏が第1期生として入社、共に苦労した仲間でした。ラジオ石巻は今年5月28日、放送開始10周年を迎えます。「むすぶ・つなぐ・地域の輪」を新しいスローガンに掲げ、鈴木常務と力を合わせて地域に密着したラジオ局を作り上げていきます。
前の日記に書いていますが、1980年、私が「石巻かほく」創刊の現地責任者となったときに鈴木氏が第1期生として入社、共に苦労した仲間でした。ラジオ石巻は今年5月28日、放送開始10周年を迎えます。「むすぶ・つなぐ・地域の輪」を新しいスローガンに掲げ、鈴木常務と力を合わせて地域に密着したラジオ局を作り上げていきます。
posted by 社長 at 00:47
| 宮城
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2007年02月13日
相沢です。
ラジオ石巻は今年5月28日に放送開始10周年を迎えます。最初のブログに書いたように私は平成14年5月末に社長に就任しましたが、私の役目は再建役でした。「せっかくつくった地域FMラジオ局をつぶすのはもったいない。やり方次第では地域に役立つラジオになる。しかも地域文化活動活性化のお手伝いが出来る。経済振興にもなる」ち思って、多くの企業、個人にお願いして株主構成をバランスあるものにして再スタートさせました。
石巻は水産都市といわれてきたように産業経済分野が活発です。しかし文化の面でも歴史の積み重ねがあり学術・文化に関する人物も実に多彩です。ところが地元の人たちは文化面の財産を意外と大事にしない、あるいは価値を認識していないのではないかと思うことがあります。
私は河北新報の記者として石巻にきたものですからよそ者でしょう。しかし地方紙の新聞記者は地元の人たち以上に赴任先の土地を愛することが大事だという教えのようなものが受け継がれています。ただし、溺愛ではありませんから、厳しいことを言ったり書いたりしてきました。
ラジオ石巻をやってみようと決意したのは、地域に根ざすことができるラジオは地方文化の一つであり、いろんな可能性があると思ったからです。災害情報の伝達にも欠かせないメディアです。まだ道半ばの思いですが、「これが地域ラジオだ」と言えるようになるには皆さんの応援が必要です。ご意見をお寄せ下さい。
石巻は水産都市といわれてきたように産業経済分野が活発です。しかし文化の面でも歴史の積み重ねがあり学術・文化に関する人物も実に多彩です。ところが地元の人たちは文化面の財産を意外と大事にしない、あるいは価値を認識していないのではないかと思うことがあります。
私は河北新報の記者として石巻にきたものですからよそ者でしょう。しかし地方紙の新聞記者は地元の人たち以上に赴任先の土地を愛することが大事だという教えのようなものが受け継がれています。ただし、溺愛ではありませんから、厳しいことを言ったり書いたりしてきました。
ラジオ石巻をやってみようと決意したのは、地域に根ざすことができるラジオは地方文化の一つであり、いろんな可能性があると思ったからです。災害情報の伝達にも欠かせないメディアです。まだ道半ばの思いですが、「これが地域ラジオだ」と言えるようになるには皆さんの応援が必要です。ご意見をお寄せ下さい。
posted by 社長 at 19:24
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2007年01月31日
社長日記
ラジオ石巻のホームページがリニューアルしたのを機会に、
社長日記を載せます。
毎日というわけにはいきませんが、できるだけ送りますのでよろしく。
まず自己紹介からー。
相沢雄一郎は昭和9年(1934)9月9日生まれですから
72才です。
全国に約200局の地域FMラジオ局がありますが
その中では高齢の社長でしょう。
しかし、会社の経営をどうするかは
年齢には関係ないと私は思っています。
FM地域ラジオ局は経営が苦しいといわれますが、
ラジオ石巻は私が社長を引き受けた
平成14年6月から単年度黒字を維持しています。
石巻地域の皆さんの応援のお陰ですが、
経営の根幹を
「オール市民ラジオ」、「地域密着」、「中立公正」の
三本柱にして、
信頼され、愛される地域ラジオづくりを着実に実行してきたことが
起動に乗ってきたからだと思います。
御存知の方は多いでしょうが、元々は河北新報記者で
昭和55年(1980)4月、石巻支局長となって
地域新聞の「石巻かほく」の創刊に携わり、
管内1市9町を自分の足で駆け回りました。
4年間いましたが、新聞の原点、メディアの原点とは何かを
自分なりに確認しました。
それはそこに住む人たちが何を考え、
何を求めているのか、
喜怒哀楽を共有できる、そんな記者でなければ、というものでした。
本社の編集責任者時代には石巻での体験を原点に
河北新報の紙面づくりを行いました。
「石巻かほく」を経営する
三陸河北新報社の社長にもなりました。
ラジオ石巻は石巻地域にとっては極めて大切なメディアです。
これを経営難から廃業してはもったいない、
やり方次第で経営はできる。
そう確信して社長を引き受けましたが、
私はメディアの「原点」をスタッフに求めました。
地域FMラジオとは一体何なのかを考えてもらいました。
いろんな障害がありましたが、みんな頑張ってくれました。
石巻経済界のご理解と協力も大きいものがありました。
番組は商品です。
どのような商品を作っていくのか。
可能性はいっぱいあると、私は思っています。
そんな可能性を石巻地域の皆さんと追い続けていきたいものです。
社長日記を載せます。
毎日というわけにはいきませんが、できるだけ送りますのでよろしく。
まず自己紹介からー。
相沢雄一郎は昭和9年(1934)9月9日生まれですから
72才です。
全国に約200局の地域FMラジオ局がありますが
その中では高齢の社長でしょう。
しかし、会社の経営をどうするかは
年齢には関係ないと私は思っています。
FM地域ラジオ局は経営が苦しいといわれますが、
ラジオ石巻は私が社長を引き受けた
平成14年6月から単年度黒字を維持しています。
石巻地域の皆さんの応援のお陰ですが、
経営の根幹を
「オール市民ラジオ」、「地域密着」、「中立公正」の
三本柱にして、
信頼され、愛される地域ラジオづくりを着実に実行してきたことが
起動に乗ってきたからだと思います。
御存知の方は多いでしょうが、元々は河北新報記者で
昭和55年(1980)4月、石巻支局長となって
地域新聞の「石巻かほく」の創刊に携わり、
管内1市9町を自分の足で駆け回りました。
4年間いましたが、新聞の原点、メディアの原点とは何かを
自分なりに確認しました。
それはそこに住む人たちが何を考え、
何を求めているのか、
喜怒哀楽を共有できる、そんな記者でなければ、というものでした。
本社の編集責任者時代には石巻での体験を原点に
河北新報の紙面づくりを行いました。
「石巻かほく」を経営する
三陸河北新報社の社長にもなりました。
ラジオ石巻は石巻地域にとっては極めて大切なメディアです。
これを経営難から廃業してはもったいない、
やり方次第で経営はできる。
そう確信して社長を引き受けましたが、
私はメディアの「原点」をスタッフに求めました。
地域FMラジオとは一体何なのかを考えてもらいました。
いろんな障害がありましたが、みんな頑張ってくれました。
石巻経済界のご理解と協力も大きいものがありました。
番組は商品です。
どのような商品を作っていくのか。
可能性はいっぱいあると、私は思っています。
そんな可能性を石巻地域の皆さんと追い続けていきたいものです。
posted by 社長 at 20:01
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